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東京地方裁判所 昭和34年(合わ)2557号 判決 1960年7月20日

本籍 栃木県上都賀郡足尾町向原四千二百十六番地

住居 不定

沖仲仕

高橋孝太郎、高橋忠男こと 神山松次郎

昭和三年一月十一日生

右の者に対する窃盗、放火被告事件につき、当裁判所は検察官金九観雄、同高田秀穂出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人は無罪

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は少年Aと共謀のうえ、

第一、昭和三十四年二月三日午前一時三十分頃東京都江東区亀戸町二丁目二十番地パチンコ営業株式会社亀戸会館(代表者刈米巳之吉)において、同会社所有の煙草ピース約六百個、いこい約三十個、チヨコレート約十個外一点(時価二万五千八百円相当)及び右会社従業員南波典夫外二名各所有の写真機外二点(時価三万三千円相当)を窃取し、

第二、同日同時頃同所において、前記のように煙草等を窃取した後、逃走するに際し、その犯跡を隠蔽するため同会館に火を放ちこれを焼燬しようと企て、点火した長さ十五センチメートル余直径約二センチメートルの蝋燭をボール箱に立てたままこれを同会館一階景品倉庫内に放置し、右蝋燭の火をボール箱に引火させ、更に同倉庫に焼え移らせ、よつて同日午前四時二十分頃刈米巳之吉管理にかかる荒砥きみ外二名が現住する同会館鉄筋コンクリート四階建一棟中景品倉庫約二坪を焼燬したものである、

というのである。

よつて証拠を検討するのに、当裁判所の証人長束隈一に対する証人尋問調書、長束隈一の司法警察員に対する供述調書二通、池田正二、酒井力、佐野重子、高田正明、鶴賀谷喜久造の司法警察員に対する各供述調書、前田信明の消防士に対する質問調書謄本、長束隈一の消防士長に対する質問調書謄本、漆間広吉の検察官に対する供述調書(添附の図面一枚を含む。)、河合晴江作成の答申書、蔵野芳樹作成の聴取並びに任意提出書、当裁判所の検証調書(添附の図面一枚、写真十五枚及び写真の説明文を含む。)、司法警察員中島忠茂作成の実況見分調書(添附の図面四枚、写真八枚及び写真の説明文を含む。)、消防士長漆間広吉作成の実況見分調書謄本(添附の図面十一枚、写真七枚及び写真の説明文を含む。)、押収にかかるボール箱一個(昭和三五年証第一九二号の四)を綜合すれば、昭和三十四年二月二日午後十一時四十分頃から同月三日午前四時三十分頃までの間に東京都江東区亀戸町二丁目二十番地パチンコ営業株式会社亀戸会館において、同会社所有の煙草ピース数百個、いこい数十個、チヨコレート数個氏名不詳者所有の風呂敷一枚及び長束隈一所有の半オーバー一着、吉越暲夫所有の携帯ラジオ一台、南波典夫所有の写真機一台が何者かに窃取されたこと、同日午前四時二十分頃右亀戸会館一階景品倉庫内から何者かの放火行為によつて出火し同倉庫約二坪が焼燬したこと、右出火直後の消火の際前記チヨコレートの一部が同会館南側路地の上で発見され、同じく右携帯ラジオが同会館北側の路上に駐車してあつた自動車の下から発見されたこと、右写真機が同日午前八時三十分頃同会館附近のなばき屋菓子店こと酒井力方店舗前に積んであつた菓子箱の台の間から発見されたこと、前記煙草のうちピース約二百個、いこい約三十個、チヨコレート三四枚が同日午後四時頃亀戸会館附近のパチンコ店押上ホール附近においてAから鶴賀谷喜久造に代金八千円で売り渡されたこと、前記半オーバー一着が同年三月八日質商蔵野芳樹方においてAにより入質されたこと、Aは昭和三十三年三月十日頃当時同人が勤務していた同会館においてピース五十個を盗んだことが発覚し、間もなく同会館より解雇されたものであつて、同会館内部の事情に精通していたことが認められる。従つてこれらの事実により、Aが少くともその売却し、入質した物品を窃取したことは推認することができるが、同人が前記ラジオと写真機の窃取行為に関与したかどうか同人が窃取行為のほか放火行為を行つたかどうか、同人が右窃取、放火をしたとき被告人も共犯としてこれに関与したかどうかの点についてはこれを積極的に推認することができない。

そこで、さらに他の証拠を詳細に検討してこれらの問題点を究明しなければならないが、これらの問題点をA及び被告人とを直接結びつけるべき指紋、血液、その他動かすことのできない客観的証拠ないし物的証拠はなんら存在しない。ただ、右出火直後の消火の際四つんばいのまま同会館北側から前記なばき屋菓子店へ向う人物を目撃したという証人丸山信子、同松本正子の当公廷における各供述、丸山信子の司法警察員に対する供述調書があるが、これらの証拠といえども右の不可解な人物がA及び被告人のいずれとも確認できないというのであるから、Aまたは被告人が右写真機の窃取またはその運搬に関与したとの資料とすることはできない。

結局本件については、これらの問題点を積極的に肯定するA及び被告人の供述があるので、被告人を有罪とするか否かは一にかかつてこれらの供述の証拠能力及び証拠価値をいかに判断するかにあるといわなければならない。そこで、以下この点について慎重に検討を加えることとする。

二、Aの供述の信憑性について。

被告人に対する窃盗被告事件の第二回公判調書中証人Aの供述記載部分、当裁判所の同証人に対する昭和三十五年二月二十七日付証人尋問調書、同証人の当公廷(窃盗、放火被告事件の第七回公判)における供述によるとあたかも本件公訴事実を認めえられるようであるから、まずこれらの証拠の信憑性につき考察する。

(以下、Aの司法警察員に対する昭和三十四年三月二十九日付供述調書の記載を第一回供述と、同人の司法警察員に対する同年四月七日付供述調書の記載を第二回供述と、同人の司法警察員に対する同年六月十六日付供述調書の記載を第三回供述と、同人の検察官に対する同年七月一日付供述調書の記載を第四回供述と、同人の検察官に対する同年十一月二十六日付供述調書の記載を第五回供述と、被告人に対する窃盗被告事件の第二回公判調書中証人Aの供述記載を第一回証言と、当裁判所の同証人に対する昭和三十五年二月二十七日付証人尋問調書の記載を第二回証言と、同証人の当公廷における供述を第三回証言と当裁判所の同証人に対する同年五月二十三日付証人尋問調書を第四回証言とそれぞれ略称する。

(一)  Aは第一回供述においては本件犯行を単独で行つたものであると供述していたが、第二回供述において初めて被告人と共同して行つたと供述したまま以後第三回証言までその供述を維持し、第四回証言においてふたたびこれをひるがえし第一回供述に戻つて同人の単独犯行であるとの供述をしている。

そこでまずAが被告人との共同犯行を供述した動機及び再度単独犯行を供述した動機を考究すると、Aは第二回供述において従前の単独犯行の供述はカメラ、ラジオの窃取の点を除外していたが、これはつじつまが合わないし、弁明ができないのでこれを取消して被告人との共同犯行を認めると述べているが、第四回証言において右の供述の動機及び再度単独犯行を供述した動機を詳細に、「警察の取調の際、警察官からカメラ、ラジオを知らないか、カメラ、ラジオを誰が盗んだのか、と何回も繰り返し同じことを尋ねられ、自分は実際これを盗んでいないので知らないといつていたが、あまり同じことを尋ねられるので嫌になり、また警察官からカメラ、ラジオの点をはつきりしないといつまでも警察に留置するといわれ、自分としては、少年鑑別所に行けば、食事の量も警察より多いし、いつも寝ていられるので、早く少年鑑別所に行きたかつたという事情もあつて、共犯として被告人の名前を出し、被告人がラジオ、カメラを盗んだと述べた。被告人が名前を出したのは、昭和三十四年一月十日頃芝浦で被告人と一緒に仕事をしたとき、いつか亀戸会館に煙草を盗みに行こうと話したことがあつたので、警察官から追及されているときつい被告人の顔が浮び、さらに自分が逮捕された頃被告人は芝浦から姿を消していたので、被告人と一緒に亀戸会館に盗みに入つたと述べても、被告人が逮捕されることはないだろうと思つたからである。その後は実は自分の単独犯行であるとはいいにくくなり、そのうえ被告が共犯であるという供述が虚偽であることがわかると、偽証罪ということでふたたび他の少年院に行くようなことになると困ると思い、今さら本当のことをいつてもだめだろうとも思つて、第三回証言まで共同犯行の供述を維持した。ところが第三回証言のため出廷して被告人と会つてからは、夢の中で被告人から『君はなんで俺の名前を出したんだ。やつていないことをどうして一緒にやつたというのか。』ときかれ、夜寝ながらうなされるようになつて苦しくなり、さらに鑑定人岡林桂生と面接した際、同鑑定人から夜よく眠れるか等と尋ねられ、いろいろ話しているうち、いくら嘘をいつても通らないということがわかつたので真実を述べることにした」と証言している。

ところで、この点の警察における取調状況について、証人後藤募、同後藤彦三、同中島忠茂の当公廷における各供述は、Aが取調の当初ラジオ、カメラの窃取の点を除き本件犯行は単独で行つたと自白したので、カメラ、ラジオの窃取の点を中心としてAを追及したところ、ついにAは本件犯行を被告人と共同して行い、被告人がカメラ、ラジオを盗んだものであると供述するに至つたのであるというにとどまり、Aの証言するような執拗、厳重な取調をしたことを否定するが、Aは昭和十五年二月十一日生で当時十九才の少年であつたことは、同人の各証言で明らかであり、鑑定人岡林桂生作成のAに対する精神鑑定書、証人岡林桂生の当公廷における供述によると、Aは人格が非常に未熟、幼稚であつて、審美、責任、他人尊重、正義等の高等感情はときにその十分な理解が困難で、もとよりその実践に十全を期することができず、感情、情緒に安定がなく、些細な外的刺戟によつて容易に心的均衡を失い、感情は抑うつ内攻し、無力的、自己不確実的となり、一段と意思的機制を脆弱化し、ために能動的意欲に乏しく、被暗示性、被影響性が増強して行動が即行的、衝動的となり、無思慮、無統制となりがちな性格であることが認められる。従つて、Aが昭和三十四年三月二十八日逮捕され、引続き勾留されて取調を受け、いかに本件は単独犯行であつて、しかもカメラ、ラジオは盗まないと述べても取調官に信用されず、追及を受けたので、同人の前記のような性格から、取調の圧力に対し高度の緊張状態に陥り、拒否、反抗、興奮、自暴自棄、失望、逃避等の心理的経過から単独犯行の供述をひるがえし、被告人との共同犯行を認め、被告人がカメラ、ラジオを盗んだのであるという供述をしたということも十分考えられるところである。さらに他面、Aがこの取調を受ける以前すでに警察署及び少年鑑別所における処遇を経験したことがあることはAの第二回証言、第四回証言により明らかであるので、同人が警察に置かれるより、早く少年鑑別所に行きたい欲求をもつたという前記証言も根拠のないものでなく、また、Aは被告人と前より面識があつて同年一月当時芝浦において被告人と一緒に仕事をしたことがあることは、A及び被告人とも自認するところであり、Aが逮捕された当時、被告人がそれまで宿泊していた東京都荒川区南千住五丁目八番地福千旅館から姿を消していて、芝浦にも仕事に行かなくなつていたことは、被告人の当公廷における供述、証人佐藤房衛の当公廷における供述、押収にかかるノート一冊(昭和三五年証第一九二号の二)により認められるから、被告人といつか盗みに行こうかと相談したことがあり、また被告人が芝浦から姿を消していたので、被告人との共同犯行を認めても被告人が逮捕されることがないだろうと思つて共犯として被告人の名前をあげたというAの前記証言を全く信憑性のないものということはできない。またAが第二回供述から第三回証言まで被告人との共同犯行の供述を維持した理由として述べていることは全く信憑性のないものと断定するにたる証拠はなく、Aが第四回証言に至り単独犯行の供述をした理由の一つとして述べた同人が夜寝ながらうなされたという事実は、法務教官の田中不二夫に対する聴取書によりこれを認めることができるし、同じく鑑定人岡林桂生に面接した状況については、証人岡林桂生の当公廷における供述によりこれを肯認することができる。

されば、Aが被告人との共同犯行を自白した動機及び再度単独犯行を自白した動機について述べた第四回証言はこれを信用することができるものといわなければならない。単にAが第二回供述から第三回証言まで長期間にわたり被告人との共同犯行を認める供述を維持していたということを理由として、Aの第一回乃至第三回証言がその第四回証言より信憑性の高いものということはできない。

(二)  つぎにAの被告人との共同犯行を自白した第二回供述から第三回証言までのその供述の内容を究明し、その自白相互の間に矛盾憧着が発見されないかどうかにつき検討する。

(1)  共謀の時期、待ち合わせの時刻について。

Aは第二回供述においては、「昭和三十四年二月二日昼頃国電田町駅附近で被告人と出合い、亀戸会館に盗みに入る相談をして、同日午後十時三十分頃錦糸町のニツカバー、ブラツクで待ち合わせる約束をした。」と述べ、第四回供述では、被告人と田町駅前で出会つた時刻を午前十一時頃と述べ、ブラツクで待ち合せる約束の時刻を十時半か十一時頃と述べている。そして第一回証言では田町駅前で出合つた時刻を昼の十一時か十一時半頃と述べ、ブラツクで待ち合わせる約束の時刻を夜十時半頃と述べ、第二回証言では被告人と出合つた時刻を午前十時か十一時頃、待ち合わせる約束の時刻を夜の十一時頃と述べているから、この点については供述に若干の矛盾が認められる。

(2)  被告人がカメラ、ラジオを窃取したという点について。

Aは第二回供述において、「被告人と共に亀戸会館に侵入し、一旦景品引換所に行き、ドライバー、蝋燭、マツチ等を取りに玉磨場に引返した際、被告人が玉磨場の更衣箱の中からカメラとラジオを取り出していた。」と供述し、第四回供述では「被告人が更衣箱からカメラとラジオを取り、カメラは肩にかけ、ラジオは手に持つていた。」とより具体的な供述をし、第五回供述では「ドライバー等を取りに引返した際被告人が玉磨場でカメラとラジオを取り出しておき、逃走する際玉磨場に行き被告人は前に取り出してあつたカメラ・ラジオを持つた。」と第四回供述とは異なる供述をし、第一回証言ではただ「被告人はカメラ・ラジオを玉磨きをする場所で盗んだ。」とだけ供述し、第二回証言では「自分が景品倉庫内から煙草を出しているとき、被告人は玉磨場の方に行つたが、そのときカメラとラジオを持つたものと思う。被告人がカメラ・ラジオを持つているのは窓から逃走しようとするとき気がついた。」と最初述べながら、その直後供述を変更し、「倉庫内から煙草等を取り出してボール箱に入れた後被告人と共に玉磨場に風呂敷を取りに行つたが、そのとき被告人が脱衣箱の中からカメラをパチンコの機械の裏側からラジオを取り、逃走しようとするとき、被告人はラジオを手に持ち、カメラを肩にかけていた。」と述べている。このように被告人がカメラ・ラジオを取り出した時期、場所についてのAの供述にはかなりの動揺が認められる。

(3)  被告人が煙草を持ち出したという点について。

Aは第二回供述では、「自分が景品引換所で荷造りをしていると、被告人が俺も煙草を持つて行こうといつてピース五十個八二箱を衣類の内側両脇に入れて玉磨場の方に行こうとした。」と述べ、第四回供述では「被告人に対し被告人の分としてピース一箱を渡した。」と述べ、第五回供述では「被告人はカメラとラジオを持つて逃げ出した。」とあるのみで、被告人が煙草を持ち出したという点は述べていない。また、第一回証言では、「被告人は携帯ラジオ、カメラをとつた。盗んだ煙草と菓子は全部自分が持つていた。」と述べ、第二回証言でも「被告人はカメラ、ラジオを持つて出た。」とだけ述べ、被告人が煙草を持ち出したという証言はしていない。このように被告人が煙草を持ち出したかどうか、持ち出したとしてどのようにこれを持ち出したかについて、Aの供述には一貫性が認められない。

(4)  犯行後の待ち合せ場所と分配金について。

Aは第二回供述においては、「亀戸会館から逃げ出す際被告人と二月三日午前八時に錦糸町駅前の荷物預所の前で落ち合うという約束をし、自分は約束どおり待ち合わせ場所に行つたが被告人は来なかつた。そして二月五日朝芝浦に仕事に行くと被告人に会つたので、煙草を売つた金から分け前として二千円渡した。」と供述し、第三回供述では「芝浦で被告人に渡した金は千円である。」と述べ、第四回供述では待ち合わせ場所についての供述はなく、「事件の二、三日後芝浦で被告人に会つたとき千五百円渡した。」と述べ、第五回供述では「亀戸会館で被告人と明日芝浦で会おうと約束して別れた。」と述べ、第一回証言では「後で神山と分ける話はしてあつたのですか。」との問に対し、「後で一緒に仕事にでも出たとき相談しようと思つていました。」と供述し、「仕事場で被告人と会つたとき千円渡した。」と述べている。第二回証言では、「玉磨場で被告人と二月四日朝芝浦の安定所の前で会う約束をし、約束どおり会つて被告人に千円か二千円渡した。」と述べ、この点に関するAの供述はその供述のたびごとに異つているのである。

以上のように、Aの被告人との共同犯行を自白した供述相互の間には、重要な部分について矛盾が認められ、これは被告人と共同して本件犯行を行つたというAの供述の信憑性について疑問を抱かせる一因である。

(三)  さらにAの第一回乃至第三回の各証言の内容が合理的なものであるかという点につき考察する。

(1)  Aの第四回証言、当裁判所の証人長束隈一に対する証人尋問調書、長束隈一の司法警察員に対する供述調書二通、当裁判所の検証調書(添附の図面一枚、写真八、九、十及びその説明文を含む。)、司法警察員中島忠茂作成の実況見分調書(添附の亀戸会館平面図を含む。)によると、Aは本件犯行に際し、亀戸会館南側の締め金がこわれていた窓から同会館内に侵入したこと、その窓の締め金は以前Aが同会館に勤務していた当時もこわれていたが、その後修理し、昭和三十四年一月上旬頃からふたたび破損していたことが認められる。Aは第二回証言において「自分が勤めていた頃亀戸会館の前記の窓の締め金が破損していたので、本件犯行を企てたときもその窓から同会館内に侵入しようというつもりだつた。自分が勤めをやめた後その締め金を直したとは考えず、その窓が開かなかつた場合の侵入については考えていなかつた。」と供述している。ところで、Aが亀戸会館を解雇されたのは昭和三十三年三月十日頃であることは前認定のとおりであり、一年近くも窓の締め金を破損したまま放置しておくということも考えられないことではないが、Aが第一、二回の各証言で述べるように被告人と共謀して計画的に深夜亀戸会館に侵入したとするならば、より確実な侵入方法を計画して現場に臨むはずであり、一年位以前に破損していた窓の締め金がそのままになつているだろうからそこから侵入しようという程度のあやふやな考えで現場に赴いたということは理解に苦しむところであつて、この点から見ても被告人との共同犯行に疑いを生ずるものである。されば、Aが犯行当日錦糸町で酒を飲んだりして遊んでいるうち、ふと亀戸会館から煙草でも盗もうという考えになり、以前同会館に勤めていた頃締め金が破損していた窓があつたので、そこが修理してあるかどうかはわからなかつたが、その窓のところに行つて窓を引つ張つてみるとすぐ開いたのでそこから同会館内に侵入したという趣旨のAの第四回証言の方が自然な納得しやすい供述であると思われる。

(2)  Aの第四回証言、南波猛の消防士長に対する昭和三十四年二月五日付質問調書謄本によると、Aは本件犯行前の午後十一時過頃、錦糸町のバー、ブラツクから亀戸会館に電話をし、電話に出た南波猛に対し名前を告げたうえ倉持という女店員を呼び出してもらおうとしたが、たまたま同女は留守であつた事実が認められる。この電話の理由について、Aは第二、四回の各証言において「もし倉持がまだ亀戸会館に勤めていたら折を見て一緒に映画でも見に行く約束をしようと思つたのである。」と述べている。もし、Aが第一、二回の各証言で述べるように、被告人と共に亀戸会館に盗みに入るつもりでブラツクで被告人を待つていたとするならば、倉持を映画に誘うつもりで同会館に電話したというAの行動は異常なものというべきである。従つてAが同会館に電話した当時はまだ本件犯行を行う意思はなかつたという同人の第四回証言の方が納得のいく供述であると思われる。

(3)  被告人並びに証人牛尾博昭の当公廷における各供述、医師牛尾盛保作成の「高橋孝太郎病歴」と題する書面、富士港運株式会社総務部作成の「労務者の出労状況等について」と題する書面によれば、被告人は昭和三十四年一月三十一日午前十時頃芝浦日の出桟橋において作業中、右腕をベニヤ板にはさみ、右前腕挫傷、右示指挫傷の傷を受け、同日より同年二月二十三日まで、芝浦病院に通院して治療を受けたが、その間同年二月一日には右示指の爪の下の血腫が強く、疼痛も激しかつたので、その爪を除去し、同月二、三日当時は右前腕部に湿布し右示指から右前腕にかけ包帯を施していたこと、及び被告人は右ききであることが認められる。また証人牛尾博昭は当公廷において「高さ五、六尺のところによじ登るには特に左ききでない以上右腕に体重を持ちあげる力が加わるから、被告人が前記のような傷を受けていた以上その右腕に体重をささえるだけの力があつたと思われないので、被告人が高さ五、六尺のところに登るのは困難ではなかつたかと思う。」と供述しており、被告人が侵入したという窓の高さが百二十五センチメートルであることは当裁判所の検証調書により明らかであるから、被告人が窓から亀戸会館に侵入したというAの第一、二回の各証言は真実を述べているものかどうかすこぶる疑いなきをえないところである。

(4)  Aは第一、二回の各証言において「被告人は玉磨場の窓から逃走した。」と供述している。しかるに、当裁判所の証人長束隈一に対する証人尋問調書によれば、長束が火事の最中真先に亀戸会館の一階の内部に入り、その南側の窓(玉磨場の窓を含む。)を開けた際、それらの窓はAと被告人が侵入したという窓を除きいずれも締め金が内部からかかつていたことが認められる。Aの述べるように被告人が玉磨場の窓から逃走したとするならば、これは右の事実に背反することになる。

(5)  被告人が亀戸会館から盗み出したというラジオが同会館前に駐車してあつた自動車の下から、同じくカメラが同館附近の菓子店の店先からそれぞれ発見されたことは前認定のとおりであり、Aの供述するようにこれらのラジオ、カメラが被告人によつて盗み出されたとするならば、なぜ右のような場所に直ちに放置または隠匿されたのか、特に被告人がその附近へ出入して地理に明るいと認むべき証拠のない本件においてはまことに理解しがたいところである。

(6)  は被告人に渡した金員について第一回証言では千円、第二回証言では千円か二千円と述べているが、被告人がAと共同して本件犯行を行つたとするならば、たとえAが犯行の主動的地位にあつて、被告人は単にその従属的役割を果したとしても、諸般の情況から考えてAよりはるかに年長である被告人が右のような僅少な分配金で納得したということは疑問であるといわなければならない。

以上のように、Aの第一回乃至第三回の被告人と共同して本件犯行を行つたという各証言には多くの不合理な点が見出され、その供述の真実性に疑問を投ずるものである。

結局、以上種々の角度から考察した結果を綜合すると、被告人と共同して本件犯行を行つたというAの第一回乃至第三回の各証言はいずれもこれを信用することができない。

三、被告人の自白の任意性について。

被告人の司法警察員に対する昭和三十四年七月二日付供述調書及び検察官に対する同月三日付供述調書には被告人がAと共同して本件犯行を行つたという事実を肯認する記載があり、窃盗被告事件の第一回公判調書には被告人の被告事件に対する陳述として、公訴事実第一の窃盗の事実につき、「事実はそのとおりまちがいありません。」との供述記載があるので、まずこれらの自白の任意性につき考察する。

被告人は当公廷において、「警察での取調の際取調官から調書の用紙を丸めたもので頬を殴られたり、煙草の火を鼻の側に持つて来て煙草の煙を吹きかけられたり、手拳で顎を五回位突きあげられたり、松川事件でも否認したものは全部死刑だ、お前も否認していれば死刑になるとか、かりに否認しても三年ないし五年の刑はきるのだから素直に白状して警察官、検事、判事の同情をかうようにしなければいけない等といわれ、やむをえず意思に反した自白をした。検察官に対しては供述調書に記載されているようなことを供述したことはない。窃盗被告事件の第一回公判で公訴事実を認めたのは公判の二、三日前警察官から公判で犯行を否認したところでお前は前科者だから絶対に罪を作られてしまう、だから裁判長の情をもつてやつてもらうようにしなければ駄目だと再三いわれ、公判で否認して帰ると警察官に暴行を加えられるのではないかという恐怖感からである。」と供述しているのであるが、右は証人後藤募、同佐藤彦二、同垣鍔繁の被告人の取調状況についての当公廷における各供述と全く反するので、警察、検察庁における取調状況についての被告人の供述の信憑性につき検討してみる。

(1)  被告人は「自分が逮捕された昭和三十四年六月十四日には中島警部補の取調べも受けなければ供述調書も作成されていない。」と述べている。しかし、証人中島忠茂は当公廷において「被告人を逮捕した当日取調べ、供述調書も作成した。」と供述し、被告人の同証人に対する同日付の供述調書が存在することは明らかであり、また警察官が被疑者を逮捕し、事件を検察官に送致するにあたり、被疑者の供述調書を作成しないで送致手続をするということは考えられないことであるから、被告人の右供述は信用できない。

(2)  被告人は「同年六月二十六日警視庁においてポリグラフ検査を受け、翌二十七日と同年七月二日に警察官からポリグラフ検査の結果でもお前が犯人であるということがわかつていると告げられたうえ取調を受けた。」と供述している。しかるに、証人山岡一信、同後藤募の当公廷における各供述、被告人作成のポリグラフ検査承諾書によると、被告人がポリグラフ検査を受けたのは同年七月十八日であることが明らかであるから、被告人の右供述は信用することができない。

(3)  被告人は「同年六月二十七日の取調にあたり、警察官からカメラをどこへ売つたかという尋問を受けた。」と供述しているが、カメラは本件犯行当日亀戸会館附近の菓子店先で発見されているのであるから、警察官が被告人に対しカメラの売先を尋ねるということは考えられず、この点に関する被告人の供述はにわかに信用しがたい。

(4)  被告人は「同年七月二日の取調の際警察官からAと秋葉原駅のホームで会つたろうといわれたのでAと秋葉原駅のホームで待ち合わせたと述べた。」と供述しているが、Aは第二回供述において被告人との待ち合わせ場所を錦糸町のバーであると述べているのであつて秋葉原駅のホームということは全く述べていないのであるから、警察官が被告人に対し右のような尋問をしたという被告人の供述は了解に苦しむところである。

(5)  被告人は同年七月三日、十分か二十分間位検察官の取調を受けたが、その際起訴状記載の公訴事実及び罰条と全く同じ程度のことをきかれたに過ぎないので、自分からAとの大きな食い違いはもう一回調べてもらいたいということを述べたが、同日付検察官に対する供述調書に記載されているような具体的な犯罪事実については全く尋ねられておらず、自分が署名、捺印した供述調書も右供述調書とは全く内容の異なるものである。」と述べているのであるが、右の供述は、検察官として被告人の取調にあたつた証人垣鍔繁の当公廷における供述に照らして信用しがたい。

以上のように、捜査機関の取調状況に関する被告人の当公廷における供述には幾多の疑点があり、被告人の供述を信用することは困難であるし、当裁判所の取調べたすべての証拠に徴しても、右の自白は強制、拷問または脅迫による自白、不当に長く抑留または拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白のいずれにも該当するとは認められず、右の自白は任意性があるものと解さざるをえない。

四、被告人の自白の信憑性について。

よつて進んで被告人の自白の信憑性を究明する。

(以下被告人の司法警察員に対する昭和三十四年七月二日付供述調書の記載を第一回自白、被告人の検察官に対する同月三日付供述調書の記載を第二回自白と略称する。)

(一)  被告人は警察における取調の当初においては本件犯行を全面的に否認したが、その後第一、二回自白においてAとの本件共同犯行を認めるに至つたので、その自白の動機を考究する。

この点につき、被告人は第一、二回の各自白の中で、「警察で調べられるときにAは捕まり正直な話をして少年院に収容されているということはきいたが、これは刑事が調べの都合でかまをかけているのだというふうに解釈をして、どうしてもAは捕まつていないはずだと思い、従来述べたように頑張つていたが、昨日(昭和三十四年七月一日)刑事に多摩少年院に同行されて行つて係の検事立会のうえAに直接会わせてもらつた結果、いつまでも無茶な頑張りをしないで本当のことをいつた方がいいというふうに考えた。」と供述している。しかし、被告人並びに証人後藤募、同佐藤彦二の当公廷における各供述によれば、被告人の取調にあたつて、警察官は警察で撮影したことが明らかにわかるAの写真を示して取調べたことが認められるから、被告人がAはいまだ逮捕されていないと思つていたということを前提とする被告人の右供述はにわかに信用しがたい。

多摩少年院において被告人とAを取調べた検察官である証人垣鍔繁の当公廷における供述で認められるとおり、同証人は同年七月一日多摩少年院において、被告人の面前で本件犯行の主要な点につきAを取調べたのであるから、その際被告人は本件犯行についてのAの供述の主要な点を知りえたわけであり、鑑定人岡林桂生作成の被告人に対する精神鑑定書により認められる、やや意思薄弱で、特に自律性に乏しく、被影響性が強い被告人の性格が手伝つて、被告人はAがあくまでも被告人との共同犯行を主張するのならばいくら否認してもしかたがないだろうという投げやりな気持から、多摩少年院におけるAの取調に同席していた際得た知識に基き、本件犯行を自白するに至つたのではないかと考えられる。このことは次に掲げるように犯行の前後の状況その他の詳細な点についての被告人の自白とAの供述との間に多くの食い違いが、みられることも一つの根拠となるものと思われる。

(二)  つぎに被告人の第一、二回の各自白と被告人との共同犯行を認めたAの供述との矛盾について検討する。

(1)  被告人は第一、二回の各自白において、「昭和三十四年二月三日午後十時三十分頃、国電秋葉原駅の千葉行ホームでAと待ち合わせ、そこでAと会つたが、時間が早すぎるので一旦同人と共に当時自分が宿泊していた南千住の福千旅館に帰り、時間をつぶしてから終電車頃に亀戸駅まで行き、Aの案内で亀戸会館まで行つた。」という趣旨の供述をしているが、Aは第二回及び第四回の各供述、第一、二回の各証言において、「被告人とは同日午後十時三十分か十一時頃錦糸町のバー、ブラツクで待ち合わせる約束をしたが、被告人が来ないのでブラツクを出て駅の方に行こうとしたところ楽天地の映画館の前附近で被告人と出合つた。」と述べている。

(2)  被告人は第一、二回の各自白において、亀戸会館に侵入する際Aが先に窓から侵入した後しばらく外に待つていたが三十分位してからAが入つて来いとの合図をしたので窓から同会館内に入つた。」と述べているのに対し、Aは第二回供述、第一、二回の各証言において、「被告人も自分の後に続いてすぐ同会館内に侵入した。」と供述している。

(3)  被告人は第一、二回の各自白において、「亀戸会館から逃走する際、自分は侵入した窓から外に出、路地を亀戸駅の方に出て同駅でAを待つていると、Aは路地を自分と反対の方向に進み亀戸会館を一廻りして同駅に来たのでそこでAと落ち合つた。」と述べているのに反し、Aは第二回供述、第四、五回の各供述、第一、二回の各証言において、「被告人は玉磨場の窓から、自分は侵入した窓からそれぞれ外に出て、被告人は路地を亀戸駅と反対の方向に、自分は亀戸駅の方向に逃走し、そのまま別れた。」と供述している。

その他、被告人の各自白とAの共犯としての供述との間には、亀戸会館から煙草を盗み出そうといい出したのは誰か、被告人がカメラ、ラジオを盗んだのか、点火した蝋燭を景品倉庫内に放置して行こうといい出したのは誰かというような点につき大きなくい違いがみられるが、これらの点についてはいずれも自己の責任を軽くしようという趣旨から出たものと考えられる節もあるが、前掲の(1)乃至(3)の諸点は単なる待ち合わせ場所、逃走径路等についての供述にすぎないのであるから、被告人とAが共同して本件犯行を行つたとするならば何故右のような諸点について被告人とAの供述との間に大きな矛盾が生じたか不可解であるといわなければならない。この点一つだけをもつて見ても、被告人とAが共同して本件犯行を行つたということは極めて疑わしく、従つて被告人の自白の信憑性も疑わしいものというべきである。

(三)  そこで被告人の第一回自白と第二回自白との間の矛盾について検討する。

(1)  被告人は第一回自白において、「亀戸会館に侵入した後直ちにAは景品引換所のカウンターの戸を開けて景品引換所の中に入り、景品等が沢山積まれている場所からピース五十個入一箱、いこい二十五個入一箱、ピース十個位を取り出してこれ等を景品引換所の前で待つていた自分に渡した。」と述べているのに対し、第二回自白においては、「亀戸会館に浸入した後Aは蝋燭に火をつけ、その明りでまず更衣室において半オーバーをとつて着込み、次いで景品倉庫の入口の戸をドライバーでこじ開け、同人だけが中に入つてピースワンボツクス、いこいワンボツクス、ばらのピース十個位を自分に渡し、A自身は空のボール箱に煙草や菓子類を詰めそれを風呂敷で包んだ。」と述べているのであつて、Aが半オーバーを盗んだこと、同人が景品倉庫の入口をドライバーでこじ開けて同倉庫内に入り煙草等を盗んだことは第二回自白において初めて述べられ、第一回自白においてはAが景品引換所で煙草を盗みそれを被告人に渡したとだけ述べているのである。

(3)  被告人は第一回自白において、「Aが蝋燭をどのように処分したか見ていないし、よく見ていないが一時家の中が暗くなつたように覚えている。」と述べているが、(なお被告人の司法警察員に対する昭和三十四年七月二日付供述調書に添附されている被告人作成の図面には「ローソクをなげた」との記載がある。)第二回自白においては、「Aは蝋燭を持つて景品倉庫を出て来て、その火を消さずにそのまま倉庫の中に投げ込んだ。そのとき一瞬暗くなつたことは事実だがそれで蝋燭の火が消えたかどうかは確認していない。」と供述している。

(3)  被告人は第一回自白において、Aが亀戸会館から持ち出した物品につき、「同人は二尺五寸位から三尺角のボール箱に何か品物を入れたものと、二尺五寸位か三尺角位に包んだ黒つぽい風呂敷包一個を持つて同会館から逃走したが、亀戸駅で自分がAと会つたときは同人はボール箱の方はどこかに隠して来たらしく持つていなかつた。」と供述しているが、第二回自白においては「Aは空のボール箱に煙草や菓子類を詰めそれを風呂敷で包んだ。」とだけ述べている。

(4)  被告人は第一回自白において、「亀戸会館から逃走した後亀戸駅でAと落ち合い国電で秋葉原まで行き同駅のホームでそれまで自分が持つていた煙草を全部Aに渡し、そこで同人と別れた。」と述べているのに対し、第二回自白においては、「亀戸駅でAと落ち合い、そこで盗み出した煙草を同人に渡して同人と別れ、自分は線路伝いに歩いて帰つた。」と供述している。

以上のように被告人の第一回自白と第二回自白との間には単なる記憶の間違いとは考えられない矛盾があるのであつて、このことは被告人の自白の信憑性に疑惑を生ぜしめるものである。

(四)  次に被告人の自白が合理的なもので人を納得させるにたるものであるかどうかにつき検討してみる。

(1)  被告人は本件犯行当時右腕、右示指に怪我をしており、このような身体的状態にあるものが被告人が第一、二回の各自白で供述するように窓から亀戸会館に侵入できたかという疑問は前掲二、(三)、(3)の項で論じたとおりである。

(2)  また被告人がAから受け取つた分配金が少なすぎはしないかという疑問も前掲二、(三)、(6)の項で論じたとおりである。

(3)  被告人は第一回自白においては、「Aは景品引換所の景品が沢山積まれてある場所から煙草等を盗んだ。」とのみ供述し、同人が景品倉庫の戸をドライバーでこじ開け、倉庫内から煙草等を盗んだことは供述していない。(もつともこの点は第二回自白においては供述している。)Aの第四回証言、長束隈一の司法警察員に対する供述調書二通、当裁判所の証人長束隈一に対する証人尋問調書、当裁判所の検証調書(添附の図面一枚、写真一乃至六及びその説明文を含む。)によれば、Aは本件犯行の際に景品倉庫のベニヤ板の戸をドライバーでこじ開け、倉庫の内部から煙草等を窃取したことが認められるのであるから、被告人がAと共同して本件犯行を行つたとしたならばこの事実は十分知悉しているはずであつて、この点について供述していない被告人の第一回自白は全面的に真実を述べたものとは認められない。

(4)  被告人は第一、二回の各自白において、「Aは亀戸会館の外に逃げ出した後路地を亀戸駅とは反対の方向に逃走した。」と供述している。しかるに、長束隈一の司法警察員に対する昭和三十四年二月十六日付供述調書、当裁判所の証人長束隈一に対する証人尋問調書、当裁判所の検証調書(添附の図面一枚を含む。)によると、亀戸会館の出火後同会館の景品引換所の南側窓の下の路地にチヨコレート数枚が落ちていたこと、この窓はAが逃げ出したという窓よりも亀戸駅寄りにあることが認められる。そしてこのチヨコレートはAが逃走する際に落したものであると認めるのが相当であるから、同人は窓から出た後路地を亀戸駅の方に向つて逃げたものと推認され、被告人の自白はこの事実と矛盾するわけである。

(5)  被告人は第一回自白において、「本件犯行後亀戸駅から国電で帰つた。」と供述している。(もつともこの点は第二回自白では亀戸駅から線路伝いに歩いて帰つたと訂正されている。)しかるに被告人は同じく第一回自白において亀戸会館に侵入した時刻を午前一時三十分頃と述べているから、本件犯行の終了後逃走しようとした時刻に国電が走つていたとは考えられず、被告人のこの点に関する供述もまた信用できない。

以上(1)乃至(5)に述べた点から考えても被告人の自白を信憑性あるものということは到底困難である。

(五)  なお証人山岡一信は当公廷において昭和三十四年七月十八日同証人が被告人に対して施行したポリグラフ検査の結果につき供述している。しかし鑑定人新美良純の当公廷における供述、同鑑定人作成の鑑定書及び鑑定人今村義正作成の鑑定書によると、ポリグラフ検査結果の正確性を保証するためには被検査者の意識が明瞭であること、その心身が健全な状態にあること、質問表の作成と質問の方法が合理的であること、検査者が特定の基礎知識と訓練を受けている者であること、質問刺戟以外の刺戟、影響のないような場所で検査が行われることが必要であること、その他の諸条件が十分守られることが必要であり、検査後他の専門家がポリグラフ検査記録を検討して前になされた判定の正確性を判断することは検査がどのような条件のもとに施行されたかを正確に把握していない以上不可能であることが認められる。従つてこのようにその正確性を十分保証することが殆んど不可能であるポリグラフ検査の結果を被告人の供述の信憑性に関する証拠とすることはできない。

結局以上で検討したような多くの疑点を持つ被告人の第一、二回の各自白はいずれも信用することができないものであり、窃盗被告事件の第一回公判における被告人の自白は捜査の過程から続いた最初の公判廷での供述であつて、前記のとおり被告人の捜査機関に対する自白調書に信憑性がないと認める以上、他に特段の事情の顕われない本件においては右公判廷における自白もまた信憑性がないものといわなければならない。

五、結論

以上のとおり証人Aの第一回乃至第三回の各証言、被告人の各自白はいずれも信憑性がないからこれを本件公訴事実認定の資料とすることはできないのであり、他に公訴事実を認めるにたる証拠はないから本件は犯罪の証明がないものというべく、刑事訴訟法第三百三十六条後段により被告人に対し無罪の言渡をすることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 荒川正三郎 裁判官 小川泉 裁判官 神垣英郎)

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